日曜日の朝、今日も絵本の話をしよう。
「大きな木」という名作だ。
あらすじはこうだ。
「昔、りんごの木があって、かわいいちびっこと仲良しでした。
ちびっこは木と遊び、木が大好きで、
だから木もとてもうれしかったのです。
時は流れ、ちびっこだったぼうやは成長して大人になっていき、
木に会いに来なくなります。
ある日、大きくなったぼうやが木のところへやってきます。
木は昔のように遊んでおいきと言いますが、ぼうやは言います。
「かいものが してみたい。
だから おかねが ほしいんだ。
おこづかいを くれるかい。」
木は困りましたが、りんごの実をすべて与えます。
大人になったぼうやは家を欲しがり、木はその枝を与えます。
年老いたぼうやは船を欲しがり、木はついにその幹を与え、
切り株になってしまいます・・・」
私は、親の立場でこれを読んだ。
かわいい子供に、尽くせるだけ尽くし、
最後は自分の持っているものをすべて与えて、
それでも与える幸せ、愛する者が会いに来てくれる幸せを感じていた。
子供の欲望は、際限ない。
与えてくれることを当然と思い、親を顧みること、感謝することがない。
Giveだけの愛は疲れる。
果たして、子供に無償の愛が役立っていたのだろうか。
ネグレクトは別として、
親は多かれ少なかれ、子供に無償の愛を捧げる。
同時に、よりよく生きるための術や厳しさも教える。
愛と厳しさ、そして経験がよいバランスをとって成長した子は、
徳を備えた、賢く、慈悲深い子に育つのではないだろうか。
子に嫌われないように、愛だけを与えたのでは、
ご都合主義の片面的な人格が形成され、
その事実に気づきもしない子に成長する。
それが子供にとって、本当の幸せとはとても思えない。
愛とは、ときに厳しく、ときに優しく、
子供が将来、世知辛い人生を生き抜く希望や知恵を授けることが理想だ。
したがって、親も子供とともに成長していかなければならないということになる。
親のような自分になりたい、と思わせるだけの真剣な生き方
が望ましい。
愛だけを与えた木に、一抹の寂しさを覚えた。
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