ニセ「緊急地震速報」出回る 実は…出会い系サイト(テレビ朝日系(ANN))
人の恐怖心を巧みに利用し、姑息な手段を使う手法に憤りを感じる。
東京・板橋区に住む73歳の女性が、総額2億円をだまし取られた振り込め詐欺事件も同様である。
このようなあぶく銭を手にしたところで、人生に充足感を得ることはできない。
コツコツコツコツ、額に汗し、目に涙して、金は、地道に稼いでもらいたい。
人は、自分も含め、人を幸せにするために存在するのである。この真理を全ての人に学んでもらいたい。
ニセ「緊急地震速報」出回る 実は…出会い系サイト(テレビ朝日系(ANN))
人の恐怖心を巧みに利用し、姑息な手段を使う手法に憤りを感じる。
東京・板橋区に住む73歳の女性が、総額2億円をだまし取られた振り込め詐欺事件も同様である。
このようなあぶく銭を手にしたところで、人生に充足感を得ることはできない。
コツコツコツコツ、額に汗し、目に涙して、金は、地道に稼いでもらいたい。
人は、自分も含め、人を幸せにするために存在するのである。この真理を全ての人に学んでもらいたい。
女子高生追いかけ駅員の顔面を殴る 容疑で39歳男逮捕 千葉(産経新聞)
恐い世の中になった。美鈴ちゃんの事件において、容疑者とされる男も無職で、昼間から酒を飲むのが常習化していたようだが、この事件の容疑者も、いい年をして、昼から酒を飲み、未成年の女性にしつこく付きまとったものである。
その挙句、止めに入った駅員に暴行を加えた。実に破廉恥な事件である。
双方の事件は、本来、働き手の要であるはずの30代~40代の男性が起こした不祥事である。
「小人閑居して不全をなす。」
まさに、この言葉通り。
市場経済の行く末に放り出すのではなく、働きたくとも働けない人の物心両面での支援策が肝要である。
何かに夢中になる経験がある人は、その後の生き方もぶれないことが多いのではないか?
自分は何が得意か、何をしている時が楽しいと感じるのか?
戦後教育のひずみを丹念に検証し、解消していかなければ、この手の事件を根絶することはできない。
少なくとも、常識として、自分の人権を主張する前に、周囲の人にも同様な人権があることを認識させなければならない。
魔女の館で暮らす? 浜松のアパート、まるで絵本の世界(朝日新聞)
風変わりなアパートができたものだ。ここの建物だけ見ていたら、とても日本の都市にお目見えした建築物だと思えない。目新しさから、若い女性や、小さな子供がいる家庭では、真剣に入居を考えるのではないだろうか。
間取りはどうなのであろうか?家賃はいくらなのであろうか?といったことが気になる。
くわえて、そこに生活するとしたならば、当然、住居としての機能性も重視されるだろう。
いずれにしても、人生の先輩としての意見を言わせてもらうならば、若い人たちには、日本の風土に合った和風建築の保存(畳・ふすま・障子、鴨居、床の間等)に関心を持ってもらいたいと思う。おとぎ話の世界は、テーマパークで十分だろう。日本において誇るべきは、日本の文化であり伝統であることを、日本国民のDNAに再考を求めたい。
神戸女児不明 近所の47歳男を逮捕 死体遺棄容疑で 兵庫県警(産経新聞)
誠に、残念な結末を迎えてしまった。6歳のいたいけない女の子が、輝かしい未来を奪われてしまった。
ご両親の胸のうちを考えると、察するに余りある。
治安が良いと言われていたはずの我が国において、子供を安心して外で遊ばせられないのでは、いまや「安全」は「神話」にすぎない。海外では、子供の安全を重視して、12歳以下の子供を、一人で外出させてはいけないとする法律を有する国もあるようだ。親をはじめとして、周囲の大人が真剣に子供を守らなければいけない時代になった。
美鈴ちゃんの、ご冥福を心より祈る。
袋に子供の遺体、不明女児の自宅近く…神戸(読売新聞)
神戸市の遺体、不明の小1女児と確認…兵庫県警(読売新聞)
神戸で行方不明になった女児については全国の方々が心配と不安の中見守っていたが、最悪の事態となってしまった。
あまりに痛ましく、何を言ったら良いのかわからないほどだ。
遺体の入っていたポリ袋から診察券が出てきたという。
だからといって、診察券の持ち主が即犯人とはならないが、仮にその持ち主が犯人ならばあまりの杜撰さから、精神的な問題を抱えている人物ということも考えられる。
犯人が誰であろうと、失われた生命は二度と戻ることはない。
遺族は失った存在への悲しみを終生胸に生きていくことになる。
その、あまりに厳然たる残酷な事実を前にして、我々は何ができるというのだろう。
空爆の法的根拠など問題を抱えてはいるものの、手をこまねいているわけにもいかないだろう。
ただ、空爆でどれほどの効果があるのかは、アルカイダの例を見る限り疑問である。
地上軍の投入はアメリカとしては絶対に避けたいのだろうが、果たしてそれで済むのか。
出来る限り人命が失われずに、イラク・シリア地域の平穏が取り戻せるよう、世界各国が真剣に取り組む他はない。
黒装束に身を包み、銃を携え覆面をした人に囲まれた、人質の物々しい映像を見るたびに背筋が凍りつく。何の権利があって、このような人権侵害を行うのか・・と。人質には祖国があり、家族がおり、友達がいる。そして何より、人質のその後の人生がある。イスラム国は、自らの主張を押し通すために、何の罪もない一般人の命を盾に取り、いとも簡単に奪い取る。
だから欧米諸国の人々は仕事でも、旅行でも、武装集団が出没しそうな場所は物理的に避けるしかない。なぜなら、会話が成立しない相手に対して、「君たちは野蛮だ」と言ったところで何ら有効な解決策にはなり得ないからだ。
世界の警察だったアメリカの国力が弱体化したため、世界のあちこちでバランスが崩れ、ひずみが生じている。国際社会における概ねの平和(あくまで、安保の傘の下にあった憲法9条下の日本での感覚だが)が、怪しくなっている。平和ボケしていたと言われればそれまでだが、今後、国際社会はどうなっていくのだろうかとの漠然とした不安が重苦しく広がる。只今、全世界的にカオスの真っただ中である。
私も、よくアマゾンを利用する。
その理由は、新刊・古本を問わず品ぞろえが豊富なこと。配送料無料で宅配してくれること(配送料がかかる商品も取り扱ってはいるが)といった、顧客の立場に立ったサービスが嬉しいからである。
米国発のアマゾン、「日本の書籍の5冊に1冊はアマゾンが売る。」ということであるから、日本の書店が大打撃を受けていることは偽らざる事実である。
そもそも資本主義は、競争主義社会である。よって資本力のある大会社が、中小の企業を廃業に追いやることは自然淘汰といえる。
しかしそれでは、一極集中で、数パーセントの富裕層と、その他大勢の貧困層といった具合に、社会が二極化してしまう。
やはり、どこかで保護政策が必要となるのだろう。
社会は、資本主義的な面と社会主義的な面のはざまを行ったり来たりしているに過ぎない。
「頭」を使うカフェが続々登場 謎解きゲームや歴史の勉強など(MONEYzine)
アトラクション感覚のカフェである。新し物好きの方にはおすすめなのではないだろうか。
しかし、私はといえば、昔ながらの純喫茶風のカフェの復活を願いたい。
バッハ、モーツァルト、クラッシックが聴き放題で、時には舌鋒鋭く、仲間と議論ができるカフェ。
本を片手にコーヒーの芳醇な香りと、昔懐かしいナポリタンスパゲッティのケチャップのにおい。何時間でも粘っていたい空間であった。ノスタルジアを感じる。
神田の「ダンドリヨン」という店で昼食を取った。
パスタやリゾット、ステーキなど様々なランチコースがある中で、
「豚バラ肉のトマト煮」なるものを注文してみた。
目の前に供された皿から、目にも鮮やかな赤…いや朱色のトマトが飛び込んでくる。
食してみると、非常に豚肉が柔らかく、トマトの酸味が食欲を旺盛に刺激してあっという間に完食してしまった。
間違いなくおすすめできる店である。
復帰出来たことも喜ばしいが、復帰初戦を勝利で飾ったというのもまた大いに喜ばしい。
2か月半のブランクがあっても13勝目…前半の活躍がいかに凄いものだったかが分かる数字である。
ただ、本当に右肘の調子は大丈夫なのかは気になるところだ。
手術はせずに注射やリハビリ治療で復帰にこぎつけたようだが、無理をしてはいないだろうか。
来季は本人にとってもヤンキースにとっても正念場。
万全の体調で来季に臨めるよう、気をつけてもらいたい。
道端で見つけた「野良猫」を拾って飼いたい・・・もし「他人の猫」だったら罪になる?(弁護士ドットコム)
道端に可愛い猫がいた。拾って帰り、ペットにしたい。この場合、法的にどのような問題が考えられるか。「無主物先占」、「窃盗」、「占有離脱物横領」、「故意」、「遺失物」といった言葉を使って説明で来たらパラリーガルの仲間入りである。なかなか面白いコラムなので、お勧めしたい。身近な例で、良い勉強になる。
ちなみに、知らないことをあたかも知っているかのごとく、背伸びして人に語ると、とんでもない批判を浴びることになる。このような失態には、くれぐれも注意しなければならない。
能ある鷹は爪を隠す。謙虚さも美徳の一つである。
海保が国内最大のチムニー群発見 久米島沖、海底資源埋蔵の可能性(産経新聞)
可能性が現実であればよい。これだけ科学が発達していても、未だ知られていないことが意外と多いものだ。なかなか景気の良い話が少ない中で、夢のある話は大歓迎である。
しかし、付加価値が高まることで、尖閣諸島や、沖縄などの領有権を主張する近隣国が、その主張を強めてこないとも限らない。荒唐無稽なこれ以上の主張をしてこないことを祈るばかりである。
<名古屋市景観条例>迷い犬チラシはピンクチラシ?(毎日新聞)
担当の市住宅都市局の弁。
「景観という公共の利益と、迷い犬などを捜す個人の利益を比較した場合、規制緩和を認める必要性や合理性はない」
本当にそうなのか?
これも、「帰責事由」と、「保護事由」の問題である。
血も涙もないということは、まさにこのことである。
家族同様にかわいがっていた犬が逃げてしまい、見つけたい一心で、近所の電柱にお知らせを貼ったことで、何故、警察で事情聴取を受けなければならないのだろうか?
「ピンクチラシや営利広告でもないのに、やるせない」と、市議は言う。
確かに、電柱に無断で広告を貼ってはいけないという条例が存在しとしても、その条例の制定趣旨に照らせば、本件の場合、警察での事情聴取が必要か否かは、簡単に判断がつくのではないかと思う。
飼い主やその支援者にとっては、泣きっ面に蜂。
現場は、規則に定められていないレアケースを、社会通念と経験則で判断することができないのだろうか?
マニュアル化社会の盲点を見たような気がする。