Archive for 10月 2021

これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元

これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元

どこかに、いそうな顔をしている。
縄文人と渡来人の混血とのこと。
日本人の祖先は、元来、混血だったのだ。
グローバル化した社会で、
どんどん世界が融合していく。
あと数十年もすると、私たちが考える、
純血の日本人はかなり少なくなりそうだ。
…とはいうものの、祖先が混血なのだから、
今更、純血も何もない。
壮大な話になった。

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髪黒染め強要訴訟、2審も校則や指導の違法性認めず 大阪高裁

髪黒染め強要訴訟、2審も校則や指導の違法性認めず 大阪高裁

「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴

またしても、国民が腑に落ちない判断がされている。
判決文を読んでいないので、報道の範囲での感想になるが、
本当にこうした判断で決着してよいのだろうか。

頭髪の色は個性である。
しかし、学校の生徒指導は、
髪型につき、その色や、パーマを禁じることに、
生徒の健全な育成を担保することができると考えているようだ。

地毛が茶色の場合、染髪が禁じられている学校で、
なぜ、黒に染めることを強要するのが、
裁量の範囲内なのか理解に苦しむ。

それが一審でも控訴審でも同じ判断である。
指導に従わないことに対する、
学校側の行き過ぎた制裁行為に不法行為を認定しても、
そもそもの校則に人権侵害を認定しなければ
原告も社会も納得しないだろうし、この裁判の意味はないだろう。

理不尽な校則が原因で、不登校を誘発した学校の責任はいずこに。
司法の非常識に絶望を見る。

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諫早湾干拓差し戻し審、和解協議に入らず 年度内に高裁判決の見通し

諫早湾干拓差し戻し審、和解協議に入らず 年度内に高裁判決の見通し(朝日新聞デジタル)

この裁判にかかわった方々の日々を思うと切なくなってくる。
政府の無策さ、いい加減さを思うし、
また、裁判所の判断も、いかに中途半端かがうかがえる。

諫早湾での干拓は古くから行われてきたが、
1989年(平成元年)に着工した
農林水産省による国営干拓事業とそれを巡る論争が今に続いているのだ。
もともとの構想は、
1952年(昭和27年)に長崎県知事西岡竹次郎(当時)が、
長崎県の平地を広げることと、
当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」として発案した。
これが諫早湾干拓事業が発案されたきっかけとされている。

つまり、諫早湾奥に潮受け堤防が建設することにより、
湾であったところを、農地にするという広大な事業が行われ、
漁民側の生活や、生態系が損なわれることから、
開門を主張する漁民側と、
そこですでに農業を行っている農民側との紛争が始まった。

2008年6月27日、
漁民側が起こした干拓事業と漁業被害と関連を問う裁判で、
佐賀地方裁判所は漁業被害との関連を一部認め、
潮受け堤防排水門について、
調査目的で5年間の開放を行うよう命じる判決を言い渡した。

ここの判決から、双方の提訴合戦となり、
それぞれの裁判で異なる判断がされたために、現在までこじれている。
関係者の皆様は、生活が懸かっているのだから大変だ…
裁判は長期にわたる。
もう少し、迅速に解決ができないものだろうか。

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眞子さん 皇族として歩んだ30年 父と娘 これまでの思いと決意

眞子さん 皇族として歩んだ30年 父と娘 これまでの思いと決意(フジテレビ系(FNN))

日本国中が、昨日はこの話題でもちきりだった。
プリンセスのご誕生から現在までを、
リアルタイムの皇室報道で知る私たち国民は、
自身の娘の結婚に重ねた人も少なくなかったのではなかろうか。
心配し、またある時は応援し、実に複雑な心境だった。

若いお二人が、ご自身らの意志を貫いて結婚される。
不自由なお立場だからこそ、意志の強さが試された。
ご夫妻のご婚約からご結婚までの日々は、
一日千秋の思いだったに違いない。

若さは、勢いがあっていい。
頭で損得勘定を考えない。
仮に障害があったとしても、
これから先の長い人生で、
いかようにでも修正しながら歩んでいくことができる。

皇室の制度としての在り方について、
一抹の不安を覚えるものの、
ドラマのようなお二人の絆は、確かに国民の心をゆすぶった。

いばらの道を共に歩まれ、意志を貫徹されたお二人に祝福あれ。

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どんな人生でも「幸せはちゃんとある」 難病告知から13年、病と向き合う日々をSNSに

どんな人生でも「幸せはちゃんとある」 難病告知から13年、病と向き合う日々をSNSに(神戸新聞NEXT)

とても良い笑顔をされている。
難病にり患されて、不自由な日々の中、
あふれんばかりの笑顔は非常に魅力的だ。
健康体の人でも、幸せを感じられない人が少なくない中、
自分が置かれたその場所で、精一杯生きている人は輝いている。
また不思議なもので、そうしたポジティブな人には、
素敵な仲間が集うのである。

要は心の持ち方次第なのだろう。
社会や環境のせいにして、閉ざされた人生を過ごすよりも、
たとえ健康な人よりできることが少なくとも、
今ある力を最大限駆使して、前向きに生きている人に共感を覚える。

自分とは何か。
自分に適した仕事は何か。
若いうちはそれでも良いが、ある程度の年齢になったら
腰を落ち着けなければならない。
自分探しとは、玉ねぎのようなものである。
皮をむいても、また剥いても、次に剥くべき皮が表れる。
そのうち、何もなくなってしまう…。

玉ねぎの自分探しより、
現状を把握し、仮に過酷な状況でも、
それを打ち破る力を鍛えることが大切だ。

病気や障害は個性である。
健康体であるわたしたちも、
そうした、強い生き方を見習いたい。

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高卒なのに「大卒」と給与算定、15年間で400万円過払い…返還求める方向

高卒なのに「大卒」と給与算定、15年間で400万円過払い…返還求める方向(読売新聞オンライン)

どうして15年間もその事実が分からなかったのだろうか。
高卒でも、大卒と同等な働きをしていたから、
気づかなかったのだろうか?
職務内容において、実力を重視するのであれば、
学歴に固執して、不当利得を返還せよとの話にはならないのではないか?

不当利得とは、民法に、その定めがある。
「第703条
法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、
そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、
その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。」

「その利益の存する限度において…」という点が曲者だ。
使ってしまって、現存する利益がないと言ったら返す必要はない。

現存利益とは、
取得したすべての利益から、
使った部分や減失・毀損した部分を差し引いた残りの利益を意味する。
つまり、遊びで不当利得を使ってしまった場合は、
基本的に残った金額だけ返せば良いこととなる。

ただし、借金の返済や生活費の支払いに不当利得を使った場合は、
「自身が持っている財産の減少を免れた」という点で利益がある。
したがって、手元に現金がなくても、見なされる
現存利益はあると見なされるのである。

また、消滅時効が論点となる。
不当利得の消滅時効は、
その事実を知った時から10年なので、
5年分は、消滅時効にかかることになる。

したがって、不当利得が認められる労働者が、
消滅時効を援用したら、その対象が10年分になるということだ。

さて本件の場合は、どの程度が返還されるのか?

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仕事の流儀

同じことをするにしても、
いやいやするのと、積極的に率先してするのとでは、
時間の過ごし方が違う。

前者は、時間が経つのがやたらと長く、苦役というべきである。
そして、出来上がりも間違いが多く芳しいとはいえない。
他方、後者は、時間がたつのが短く、寝食を忘れ没頭する。
自分が楽しいと感じれば、それはゲーム感覚で、
ここはああしたい、こうしたいと、
次のアイディアへとつながる。
そうして過ごした時間は、
充実した仕事をしていることが多い。成果も上がる。

同じするなら、仕事は楽しくやりたいものだ。
勉強も同じ。することを強いられれば、嫌になる。
どうせやるなら、自発的に、興味のあるものを深める姿勢が大切なのだ。
経験が浅いうちは、任された、たとえ腑に落ちない仕事でも、
視点を切り替えて、ウソでも楽しいことをしていると思い込む。
できるようになった自分をイメージして、ひたすら人生の土台固めをする。

心がけ一つで、習慣化されれば、
いつも、仕事で楽しい時間を過ごせるようになるはずだ。
老いも若きも関係ない。
愚痴を言う前に、まず試してみよう。
毎日していれば、自然と見方が変わる、考え方が変わる。

素直さと明るさ、大きな声の爽やかなあいさつは、そっくりそのまま自分に戻ってくる。
その簡単なことが、人はなかなかできないものである。

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「二重の基準論」と「たこ焼き屋」

急に寒くなった。
皆さん、冬支度はもうお済だろうか?
衣替えだけではなく、
食べ物も温かいものが恋しい季節となった。
熱燗に、おでん、肉まん、と、タコ焼きもいい。
今日は、そのたこ焼きの話だ。

皆さんは、「ダブル・スタンダート」、二重の基準論という言葉をご存じだろうか。
この「ダブルスタンダード」は、憲法の考え方の一つである。

これは、個人の人権、特に「自由権」に着目して、
自由権を「精神的自由権」と「経済的自由権」に分け、
前者に対する国の制約については、
司法府が厳しい基準で審査し、
後者については若干緩やかな基準で審査するというものである。
つまり、前者においては、国の制約が認められにくく、
後者においては、国の制約が認められやすくなる。

ここで、簡単な例をあげる。
駅前で、たこ焼き屋であるAが屋台を出して営業しているとしよう。
そして、ここにはたこ焼き屋の他、
次回の選挙のために演説をしているBもいる。
そこに警察官がやってきて、
「公共の福祉のため、この場所を使用禁止とする。すぐ出ていくように」
とABを追い出した。

この場合、Aは職業選択の自由に制約を受け、
Bは表現の自由に制約を受けている。
どちらも、同じく憲法の保障する人権が警察によって
制限が加えられていることに変わりはない。
すなわち、警察の行為によって、
Aはたこ焼き屋を営業して利益を上げる権利が侵害されたことになる。
営業行為を自由に行うことは、
憲法22条1項の職業選択の自由から導かれる営業の自由であり、
経済的自由権の一つである。

これに対して、Bは選挙活動をすることができなくなってしまった。
これはまさしく選挙活動の自由を制約するものである。
選挙活動の自由は、自己の政治的意思を表明する行為で、
表現の自由(憲法21条)によって保障される。
表現の自由は精神的自由権の一つである。

さて、警察官の行為はこれらの権利自由を制約する行為であるが、
二重の基準によると、
たこ焼き屋の営業の自由への制約は認められやすく、
選挙候補者の選挙活動の自由への制約は認められにくいということになる。

例としてあげた表現の自由が大切とされるのは、
表現行為を規制された場合、
為政者を選択するための考慮材料に欠くことになると、
適正に選択できないことにより横暴な為政者が誕生し、
それにより重大な権利侵害を招くことになるからである。
また、言論の自由が確保されていなければ、
その体制を覆すための「選挙」の判断材料が欠き、
覆すのが至難となり、民主政を選択する我が国にとって
回復不能なダメージをもたらす結果となる。

そのため、表現行為などの精神的な自由については
特段の尊重を要するのである。

お分かりいただけただろうか?

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「艱難汝を玉にす」

「艱難汝を玉にす」
最近あまり効かなくなった言葉だ。
意味はご存じのとおり、
困難や苦労を乗り越えることで、人は立派に成長すること…である。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
これも死語に近い。
しかしその意味は、若い時にする苦労は、
必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、
求めてでもするほうがよいということだ。

「子供を不幸にするいちばん確実な方法は、
いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることである。」
これは、18世紀の思想家ルソーが、
その著書『エミール』の中で述べた言葉だ。

今、不自由なく育った子供たちが、
労苦を回避する傾向にある。
しかし、人生に無駄はないし、その時々の困難は、
その人が超えられる程度のハードルに過ぎない。

子供は、明日のパンを心配しないし、
政治家でない私たちは、外交で眠れぬ夜を過ごすこともない。
せいぜい、仕事の進捗や、上司の取り扱いや、
同僚とのコミュニケーションで頭を悩ませるぐらいだ。

些細なことを回避していたのでは、良い「玉」にはなれない。
積極的に困難な道を進め。
その先にあなたの成長はある。

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靴を売る、二人のセールスマン

あなたはどう考えるか

靴を売る、二人のセールスマンがいた。
二人は、ある島を訪れ、はだしの民を見て、異なった見解に至る。

セールスマンAは、
「この島で、靴は売れない。
なぜなら、この島では靴を履く習慣がないからだ」 

セールスマンBは、
「この島は、靴を売る絶好のチャンスがある。
なぜなら、この島では誰も靴を履いていないからだ。」 

同じ状況を見て、正反対の見解が導かれることが面白い。
勿論私たちは、セールスマンBでなければならない。
仕事は、状況を見て、どう考えるかで勝敗が決する。
そして方針が決まったら、目標に向けてひたすら突き進むことだ。

仕事が面白いか、面白くないかは、自分の心がけ次第。
この、心がけが大切なのである。

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自撮り中に噴火 阿蘇山(中岳)山頂にいた男性

自撮り中に噴火 阿蘇山(中岳)山頂にいた男性【熊本】(RKK熊本放送)

御岳山を、雲仙普賢岳を思い出す。
阿蘇山も、その昔、私は火口付近まで行った。
エメラルドグリーンの底は、魅力的な色だった。
その周りにはいくつものコンクリートでできたシェルターがあったが、
こうしたときのために用意されていたものだと後から知った。
その瞬間に、いた場所は運である。
たまたまは、必然なのか、偶然なのか。
日本は火山の国である。
私たちは、そこに住んでいるということを忘れてはならない。
それにしても、今回の噴火で、大きな被害がなくてよかった。

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「人災の側面、否定できず」盛り土問題で熱海市長 調査結果を公表

「人災の側面、否定できず」盛り土問題で熱海市長 調査結果を公表(朝日新聞デジタル)

土石流の恐怖を物語る映像は衝撃的だった。
あっという間に家が流される。
それも何棟も何棟も。
その破壊力は、まさに人知を超えていた。
テレビのこちら側で見ていても、
あれだけ恐ろしいのだから、
体験された方はどれだけのものだったのか、想像に易い。

業者が悪いのは当然である。
しかし、それを行政が見抜けなかったのだろうか。
結果予見ができたか、
予見していたとしたならば、十分な結果回避措置を講じか。

つまり、現地の立ち入り調査をして、それが問題なしと、
盛土の許可を出していたのなら、行政の怠慢。
仮に危険を認識して、
改善命令を出していたのならば、
それを最後までさせなかった行政の怠慢。

住民の安心安全を全面的に担っているのが行政なのだから、
あれだけの災害を起こした原因を直視しなければならない。

「人災の側面も否定できない。
市の対応に問題がなかったか
真摯(しんし)に向き合うことが必要だ」
と述べ、
「最終的には司法機関に判断をゆだねざるを得ない」
との市長の弁。

いや、災害の調査結果を踏まえて、
「人災の側面も否定できない。」
と、行政の責任の一端を感じているのならば、
なぜ、裁判に持ち込まなければならないのか、
住民の被害感情を逆なでするだけだ。

真摯に対応するのは、行政の過去の対応もさることながら、
被害者の心に沿った、迅速な損害賠償なのではなかろうか。
いずれにしても、行政の善管注意義務違反は免れない。

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「おいしい話」と思った副業ビジネス 戻ってこない1600万円

「おいしい話」と思った副業ビジネス 戻ってこない1600万円(朝日新聞デジタル)

世の中にはおいしい話が山とある。
詐欺師は、さも本当であるかの如く、
人の心のスキを突く。
騙したほうが悪いのか、騙されたほうが悪いのか。
それは騙したほうが悪いに決まっているが、
騙されるほうには注意力が散漫だった点に過失がある。

そもそも、そんなに儲かるのならば、
騙す人間が借金してでも事業展開するだろう。
誰がそんなにおいしい話を客に紹介するものか。

正常な判断をする人は、そう思う。
しかし、何らかの事情で資金繰りに困っている人が
今ある金を元手に何とかしたいと考えている心のスキに
詐欺師が入り込む。

思わぬ利益が出て、節税効果の高い商品を勧められれば、
ついつい、そちらに心がなびく。
しばらくの間、おいしい思いをすると、
すっかり信用してしまうが人の心理であり、
詐欺師のやり方だ。
投資額は、どんどん膨らむ。

わかっていても、悪漢の術中にはまってしまうのは、
何も被害にあった方だけではない。

人の振り見て我が振り直せ。
決して対岸の火ではない。

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馬の殺処分は年間7千頭、「使い捨て」の現実 元騎手が始めた牧場

馬の殺処分は年間7千頭、「使い捨て」の現実 元騎手が始めた牧場(朝日新聞デジタル)

考えさせられた。
私たちに夢を与えてくれる馬が、
毎年こんなに殺処分されているとは知らなかつた。
功利主義で、利益を生まない道具は生きることさえ許されない。
そうした命を救うべく、
使命感に突き動かされた人が、利益度外視で始めた牧場。
その活動に共感して、後継者もできた。
様々なアイディアを出し合って、
牧場は新しい活動を模索し続けている。

働かざるもの食うべからず。

たしかに、競走馬の仕事はレースに出場することである。
その中で、勝ってなんぼの世界だ。
走るのが遅い馬、ケガをしてレースに出場できなくなった馬は、
ただ飯食いのお荷物である。
残された道が、馬肉として人に喰われることだと思うと切ない。

これを人間に置き換えてみればどうだ。
仕事ができない人間は、生産性がないから殺処分と言っているのと同じである。
障害を負った方が、福祉を受けることなく、
また、仕事で失敗ばかりして、成果を上げられない労働者も殺処分。

人間ならば、多様な可能性から、
それにチャレンジする機会が与えられるではないか。
スポーツがだめなら、頭脳で。
勉強がだめなら、人間的なやさしさで、
またウイットの効いた面白さでといった具合に、活躍の幅は広い。

競走馬としてダメな馬も、牧場で人を癒すことができる。
私たちも、そうした活動に協力すべく、
馬のことを知ることから始めなければならない。

新潟まで足を運び、馬たちと触れ合いたくなった。

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ウイスキーの“樽買い”人気 熟成する「時間楽しむ」…コロナ禍にぜいたくな家飲み求め【静岡発】

ウイスキーの“樽買い”人気 熟成する「時間楽しむ」…コロナ禍にぜいたくな家飲み求め【静岡発】(FNNプライムオンライン

同じコロナか禍でも、すたれる企業と、
業績を伸ばす企業との明暗がくっきりしている。
これまでと同じことをしていても、活路は見いだせない。
先を読む力と、行動力が必要だ。

これまで、ウィスキーを、
樽で購入しようなどと考える人の話は聞いたことがない。
NHK朝の連続テレビ小説で、「マッサン」の生きざまを描いていたが、
日本のヘソ(中心)で、同じようなことをする人がいるとは驚いた。
たしかに、静岡は水がきれいで豊富だ。
南アルプスに源流する、安倍川の伏流水は実にうまい。

ちなみに、伏流水とは、
河川の流水が地面の下へ浸透して流れることでできる、
極めて浅い地下水のこと。
地中で自然にろ過が行われるため、
水質が良といわれる。

ウイスキーを作るには適した場所といえるのではないか。
もう少し、地理的に近かったら、樽を持つのもよかったかもしれない。
今時、夢のある話だ。

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