学びの本質を知る 4

【無知の知を知る】
自分がどの程度の力量なのか。これを正しく理解することがなかなか難しい。人は一般に、周囲が評価するより、自分に対して過大な評価をするものである。
「そんなこと言われなくても、知っている。」だとか、「今さら、それを持ち出さなくても。」などと考える。
しかし、たとえ知っていたとしても、それを実践に役立てなかったら、宝の持ち腐れではないか。言われて初めて気が付くのも、同様である。
また、表面的には理解したつもりでも、突き詰めて問われれば、答えに窮することもある。
つまり、これは知ったつもりになっていただけであり、本質を理解していなかったということである。
このように、人は完璧だと思っても、実際にはそうではなく、知っていると思い込んでおり、少なからずの過ちを犯していることが少なくない。
これを私は、セミナーで「無知の知を知る」という。
誰しも過ちはある。一生において、過ちを犯さない人はいない。
したがって、間違えることは恥ずべきことではないのである。
恥ずべきは、何か。それは、間違いと気づいた後も、そのまま間違いを放置しておくことである。
これを本当の意味での、「間違い」という。大切なことは、その過ちに気づいたとき、その後、どう行動するかということである。
それが、古代ギリシャ哲学の祖、ソクラテスが唱えた「無知の知」の正体なのである。
以下、ソクラテスの言葉の意味に解説を加えておこう。
「ソクラテスを、ひとことでいうなら『問う人』です。
たたみかけるように問いを発しつづけて、相手をいつの間にかアポリア、袋小路にはめてしまう。
なぜなら、そこに「気づき」を起こしたいからです。アポリアにはめることで、アポリアから抜け出す方法を考えていく。
『わかっていた』のではなく、『わかっていたつもり』だったことに気づいてほしい、無知であることを自覚してほしい、と考えてやっているわけです。
『無知の知』をしっかり自覚してもらいたい。(中略)ソクラテスには答えがありません。ある結論を出すことを目的で議論しているわけではないからです。
『私が知っていると考えていたのは違っていた』と気がつけばそれでいい。」(「ギリシャの哲学者たち」ガスリー著からの引用)
よって、自分の無知に気づいたその時点から、謙虚に学ぶ姿勢が大切なのである。再度言う。これが、できる士業者と、そうでない士業者の分かれ目である。(続く)

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