貧乏東大生が見た「金持ち東大生」との残酷格差(東洋経済オンライン)
地獄の沙汰も金次第…とはいうものの
経済が補償された環境でなければ、良い人材が育たないのか。
教育は宝である。
水準の高い教育を受ける権利は、
個人に等しくチャンスを与えてしかるべきだ。
しかし、実際問題として、
富裕層に生まれた子供の方が、
そのチャンスを多く手にすることができるようだ。
問題は、その先である。
せっかく受ける事ができた最高レベルの教育だが、
社会に出てからどう生かすかが肝要である。
知識を知恵に変換するのは、その人の特性であり才能ともいえる。
深い思慮を持ち、研ぎ澄まされた洞察力で情報を素早く察知し、
自分が持てる知識でいかに山積する問題を解決していくか。
何の不自由もなく、最良の環境が常に備わっていた人に、
どんな逆境をもはねのける、雑草魂を求めるのは無理がある。
むしろ、遠回りをして、人生の辛酸を味わった人間の方が、
人生の集大成で、いぶし銀の輝きを放つことが多い。
教育の水準は高いに越したことはないが、
温室育ちに、雑草の逞しい根性は育たないだろう。
打たれ強さも、経験則として教育のカリキュラムから外せないといえよう。
いずれにしても、人生に必要なのは、あくなき探求心と、迅速な問題解決能力である。
面倒だと思ったところで、既に勝敗が決まる。
過去と人は変えられない。未来と自分は変えられる。
昨日まではリハーサル。今日からが本番である。
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