あの日の取材、刻まれた思い 雲仙・普賢岳火砕流30年 本紙元記者が振り返る(産経新聞)
あの災害から、もう30年が経つのか。
日本で火砕流による犠牲者が出ることなど稀な話だが、
自然は、どこで何が起こるかわからない。
コロナもそうだが、人はその環境に従うしかない。
何をどうしたところで、変えることができないものには
素直に従うしかない。
最善を尽くすことは大切だが、運命には抗いきれないこともある。
今、ここに存在することに、つくづく感謝しなければならないと思う。
30年前、私も大切な人を失くしている。
これも、抗いきれない運命だった。
写真の故人は、いつまでも若くて美しい。
それに引き換え、自分の風貌は、30年の重みを如実にしている。
あちらの世界に行ったとき、
故人には、私と認められないのではないだろうかと少々心配になる。
それにしても、記事における写真の車は、何と古い型であることか。
30年前は、このような時代を生きていたのだと感じさせる一枚である。
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